群山・開井面 旧日本人農場倉庫(군산 개정면 구 일본인농장 창고)

群山・開井面 旧日本人農場倉庫(군산 개정면 구 일본인농장 창고)

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    全羅北道 群山市 開井面 パルメキル 53-5

  •   title

    群山・開井面 旧日本人農場倉庫(군산 개정면 구 일본인농장 창고)

  •   homepage

    http://www2.gunsan.go.kr/tour/index.gunsan(韓国語)

  •   overview

    2005年国家登録文化財第182号に指定された嶋谷金庫は日帝強占期の群山(クンサン)地域を代表する農場主であった嶋谷八十八が1920年代に建てた蔵です。

    嶋谷は韓民族の文化財収集に関心を寄せ、鉢山里石塔や五重石塔をはじめとした数多くの芸術品を不法に収集した人物です。この建物は嶋谷が収集した骨董品を保管していた場所でした。

    建物は3階建てのコンクリート作りで入口には鉄製の金庫の扉がついています。

    窓は鉄格子と鉄板の二重構造の仕掛けとなっています。

    現在、鉢山初等学校の場所に農場を持っていた嶋谷八十八は日本の山口県玖珂郡出身で、日本において酒造業で財を成し清酒の原料である廉価の米を求めこの群山に来た人物でした。

    1903年12月当時7万円で鉢山里周辺の土地を買収し農地を開き始め、1909年になると臨陂(イムピ)のほか2つの面に486町歩の農地を所有する農場主となりました。

    土地に対する執着がとても強かった嶋谷は韓国が解放された後、アメリカ軍政庁に韓国人になるべく帰化申請し、他の日本人が帰国した後も最後まで帰国を拒否、そのため嶋谷は群山の最後の日本人農場主という別名で呼ばれることになりましたが、結局、米軍政庁の強制的な勧告により鞄二つだけを手に釜山港から最後の帰国船に乗らなければなりませんでした。

    この建物は半地下である1階部分と地上部分2階分ある総3階建て構造の一体型で作られ、内部の各階は板の間で仕切られた建物です。外部へ通じる窓には鉄格子があり、その外側へ鉄の扉がつけてあり2重の防犯となっています。

    出入口にはUSAのマークが鮮明にある扉があり、第二次世界大戦以前にアメリカから輸入した輸入品であることがわかります。金庫の半地下には生地や食料品があったといわれ、2階には農場の重要書類や現金が、3階には韓国の古美術品が多数所蔵してあったといいます。



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  •   infocenter

    +82-63-454-3923

_detailInfo
  • 入場料 : 無料
  • トイレ : なし
  • 韓国語案内サービス : 40人以上の団体の場合、群山市庁で文化解説ガイド支援可能
    - 群山市観光振興課 +82-63-450-6598)
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